ソウル(韓国)
 2003年11月28日、ソウルを訪れました。その昔、1981年に、金浦空港経由の大韓航空で渡米しましたが、その時は、空港内では自動小銃をもった兵士がいたり、新聞を売る少年がいました。時代は変わり、今やアジアのハブ空港として機能している、2001年3月に開港した仁川(インチョン)空港は、4000m級の滑走路を2本もつという大変立派な施設でした。
 韓国では、飛ぶ鳥を落とす勢いのサムスンなど世界を代表する企業も多く、ソウルの街は活気にあふれていました。ソウルの人口密度は約17000人/平方キロメートルと非常に高い人口密度ですが、感覚的には香港の方が都心部の人が多いと感じました。現地ガイドの方から、韓国における幼少の教育事情や大学受験の話などを聞くと、日本よりも勤勉な国柄やその発展ぶりが理解でき、将来の日本は大丈夫だろうかと心配になるほどでした。

 また、ソウル市内のほか、北朝鮮との国境周辺も行きましたが、国境警備の兵隊さんが配置され、緊張感を感じました。現在、世界で唯一、南北が分断している地域と現地ガイドの方が紹介されていました。これまで、さまざまな歴史がありますが、いい方向に向かってほしいと感じました。なお、ソウルは、「街の小物」「街の暮らし」でも紹介しています。
 ソウル市庁の公式サイトはこちらから。

・ソウルの一枚・都心部・清溪川(チョンゲチョン)・臨津江(イムジン川)・自由の橋

人口面積人口密度
約1032万人約606平方キロメートル約17000人/平方キロメートル


ソウルの一枚
 ソウルの写真のなかで選んだ、この一枚。歴史ある李氏朝鮮を感じさせる南大門と今の街並みの対比から、ソウルの街の発展ぶりが感じられます。
南大門と周辺の街並み


都心部
 都心部は、高層ビルが林立し活気ある明洞(ミョンドン)、古い街の雰囲気が漂う仁寺洞(インサドン)、世界遺産である景福宮(キョンボックン)や昌徳宮(チャンドックン)など様々な顔があり、見所満載でした。
 しかし、車が非常に多いのには驚きました。尋常な渋滞ではありませんが、一旦、車を降りると、都心部は基本的に自転車乗り入れ禁止なので、大変、歩きやすかったです。また、縦横無尽に整備されている地下鉄を使えば、都市内の移動は快適です。

  
ソウル駅 新しいソウル駅
(釜山などに向かう新幹線に乗車)
 新しいソウル内部
(床材仕上の石が滑りやすく危険を感じました)

  
ソウルの朝
(南山とソウルタワー)
 都心部のビル群
(ソウルヒルトンホテルから)
 都心部鳥瞰
(ソウルヒルトンホテルから)

  
にぎやかな明洞の街(その1) にぎやかな明洞の街(その2) にぎやかな明洞の街(その3)

  
明洞のロッテ百貨店周辺の露店 明洞聖堂 ロッテ百貨店入口(地下街から)

  
骨董街の仁寺洞の街並みその1 仁寺洞の街並みその2
(自転車通行禁止なので歩きやすい)
 仁寺洞の街並みその3

  
李氏朝鮮の正宮、景福宮(キョンボックン)の全体図 景福宮の入口付近
(かつて日本総督府が立地)
(左奥の山は北漢山)
 景福宮内の勤政殿(クンジョンジョン)

  
勤政殿の内部 昌徳宮(チャントックン)内の建物
(昌徳宮は景福宮の離宮)
 昌徳宮内の庭園、秘苑(ピウォン)


清溪川(チョンゲチョン)
 以前、ソウルの街の中心部を流れていた清溪川(チョンゲチョン)。その昔、暗渠にしてその上に道路を建設しました。そして、今、都心の高速道路を撤去し清溪川を復元する工事が進められています。外国から、この事業を視察に来るようですが、一番多いのは日本からの視察ということです。
 ソウル市庁のホームページへのリンクは了承していただき、上記にそのリンクは掲載していますが、そのトップページから清溪川復元事業のページへうまくとべません。そこで、清溪川復元事業のサイトマップへの直リンクはこちらから。詳しく事業が紹介されています

 
高速道路撤去後の様子
(かつてここには高架道路が・・・)
 四十数年ぶりに太陽光を浴びる地下の暗渠部


臨津江(イムジン川)
 ソウルから北西に向かって車で1時間いくと、1992年に完成した鰲頭山(オットサン)統一展望台があります。北朝鮮との国境にはいくつか展望台がありますが、ここからは北朝鮮の街の様子を見ることができます。イムジン川の一番狭いところで数百メートル、当日は霧雨でしたが、望遠鏡で北朝鮮の街の様子を見ることができました。

  
展望台から望むその1
(イムジン川の向こうは北朝鮮)
 展望台から望むその2
(イムジン川の向こうは北朝鮮)
 展望台から望むその3
(イムジン川の向こうは北朝鮮)

  
展望台にある模型
(イムジン川を挟んで右下の青い点が展望台)
 イムジン川を渡ると非武装地帯
(赤線が鉄道)
 展望台にある朝鮮半島の模型


自由の橋
 鰲頭山(オットサン)統一展望台からさらに北へ車で30分行くと、北朝鮮にとらわれた捕虜が、朝鮮戦争後、韓国に帰ってきたときに通った橋、自由の橋へ行くことができます。2000年1月に一般開放されました。自由の橋の先端のフェンスの先は北朝鮮へ伸びる鉄道で、そのフェンスには黄色いハンカチならぬ布がたくさん結び付けてあり、南北統一の願いが書きこまれていました。

  
自由の橋 一般公開されたことを示すプレート あの鉄橋の先は北朝鮮


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